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アトレティコ・マドリード完全ガイド|「もう一つのマドリード」の誇り
アトレティコ・マドリードは、同じマドリードを本拠地とするレアル・マドリードの陰に隠れがちながらも、通算11回のリーグ優勝を誇る名門クラブです。労働者階級のクラブとしての誇りと、ディエゴ・シメオネ監督のもとで築き上げた規律の哲学「コリズモ」で、独自の存在感を放っています。
レアル・マドリードとの「マドリード・ダービー」やエル・クラシコについては、「レアル・マドリード完全ガイド」と「エル・クラシコ完全ガイド」もあわせてご覧ください。
創設:1903年、バスク人学生たちのクラブ
アトレティコ・マドリードは1903年4月26日、マドリードに住むバスク人学生たちによって創設されました。前年(1902年)にアスレティック・ビルバオがコロネーション杯で優勝したことに触発され、その名を冠した「アスレティック・クラブ・デ・マドリード」として発足した経緯があり、アスレティック・ビルバオとは兄弟クラブのような関係にあります。創設メンバーにはラモン・デ・アランシビア、イグナシオ・ゴルタサル、リカルド・ゴルタサル、マヌエル・デ・ゴジャローラらがおり、初代会長はエンリケ・アジェンデが務めました。1907年にはアスレティック・ビルバオから法的に独立した組織として登録され、1924年に正式な完全独立を果たしています。

初代会長エンリケ・アジェンデが同年中に退任すると、後を継いで第2代会長に就任したのがエドゥアルド・デ・アチャです。創設プロジェクトの主要な推進者の一人であり、1903年から1907年までクラブを率いました。

以下の年表が、アトレティコ・マドリードの歴史における主要な転換点を示しています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1903年 | バスク人学生たちにより創設(アスレティック・クラブ・デ・マドリード) |
| 1907年 | アスレティック・ビルバオから法的に独立 |
| 1911年 | ユニフォームを現在の赤白(ロヒブランコ)に変更 |
| 1923年 | 旧エスタディオ・メトロポリターノが開場 |
| 1939年 | アビアシオン・ナシオナルと統合、「アトレティコ・アビアシオン」に改称 |
| 1939-40年 | 統合後初のリーグ優勝、翌シーズンも連覇 |
| 1974年度 | コパ・インテルコンチネンタル制覇(1975年3月開催、FIFA公認の「世界クラブ王者」に) |
| 1995-96年 | ラドミル・アンティッチ監督のもとドブレテ(リーグ・コパ・デル・レイ2冠)達成 |
| 2011年 | ディエゴ・シメオネが監督就任 |
| 2013-14年 | シメオネ体制下で初のリーグ制覇 |
| 2017年 | 新エスタディオ・メトロポリターノが開場 |
| 2020-21年 | シメオネ体制下で2度目のリーグ制覇 |
クラブ名とユニフォームの歴史——「コルチョネロス」の由来
創設当初の1903年、アトレティコ・マドリードは半分白・半分青のユニフォームを着用していました。これはイングランドの名門クラブ、ブラックバーン・ローヴァーズを模したものだったとされています。
転機は1911年です。創設メンバーの一人フアン・エルドゥイがイングランドから持ち帰った生地——サウサンプトンFCのユニフォームに使われていたものだったと伝えられています——を用いて、現在まで続く赤白のユニフォームに衣替えしました。パンツは青のまま残され、これが兄弟クラブであるアスレティック・ビルバオとの違いを示す要素となっています。

この赤白の縦縞ユニフォームが、当時のマットレス(スペイン語で「コルチョン colchón」)の生地模様に似ていたことから、ファンやメディアは選手たちを親しみを込めて「コルチョネロス(colchoneros)」と呼ぶようになりました。今日でも「ロヒブランコ」と並んで、アトレティコを指す最も広く使われる愛称です。

エンブレムをめぐる論争——クラシックデザインへの回帰
アトレティコ・マドリードのエンブレム(熊とマドロニョの木、7つの星をあしらったデザイン)は、1947年に基本形が確立されて以来、70年にわたってほとんど変更されませんでした。
転機は2016年12月です。新スタジアム(現エスタディオ・シビタス・メトロポリターノ)への移転発表と同時に、エンブレム刷新の方針も発表されました。翌2017年、デジタル媒体での視認性向上を目的に、色数を赤・白・青の3色に簡略化し、熊とマドロニョの木の配置・向きを入れ替え、上部の直線的なラインを丸みを帯びたデザインに変更した新エンブレムが導入されます。
しかし、この新デザインはファンから「単なる企業ロゴのようだ」との批判を浴び、長年にわたる抗議運動へと発展しました。ファンの声を受け、クラブは会員による拘束力のある投票を実施。2023年6月30日に結果が発表され、約8万人(会員全体の56%)が投票に参加した結果、熊とマドロニョの木を元の色・向きに戻す「伝統的」なデザインへの回帰が承認されました。
そして2024年7月1日、1947年から2017年まで使われていたクラシックなエンブレムが正式に復活。7年間続いたモダンデザインの時代を経て、ファンが長年愛してきた伝統の紋章がクラブに戻ってきました。

本拠地の歴史——レティーロ公園からメトロポリターノへ
アトレティコ・マドリードの本拠地は、120年を超えるクラブの歴史の中で何度も移り変わってきました。
- カンポ・デル・レティーロ(1903〜1913年):マドリードのレティーロ公園内に設けられた最初の本拠地。
- カンポ・デ・オドンネル(1913年〜):1913年2月9日、アスレティック・ビルバオ戦で開場しました。
- 旧エスタディオ・メトロポリターノ(1923年〜):1923年5月13日、レアル・ソシエダ戦(モンチン・トリアナの記念すべき第1号ゴール)で開場し、以後数十年にわたり本拠地として使用されました。
- エスタディオ・ビセンテ・カルデロン(1966〜2017年):マンサナーレス川沿いに建設され、半世紀以上にわたってクラブの象徴的な本拠地となりました。
- エスタディオ・シビタス・メトロポリターノ(2017年〜):現在の本拠地。2017年9月16日に開場し、収容人数は約7万人です。





レアル・マドリードとの宿命——「もう一つのマドリード」
同じ首都マドリードを本拠地とするレアル・マドリードとの対戦は「マドリード・ダービー」と呼ばれ、その起源は1903年のコパ・デル・レイ決勝にまでさかのぼります。多くのファンにとって、この対決はエル・クラシコに勝るとも劣らない、あるいはそれ以上の情熱を伴う一戦とされています。
その背景には階級的な物語があります。レアル・マドリードが王室とのつながりや国際的な成功から「エリート」のイメージを帯びる一方、アトレティコ・マドリードは長年、労働者階級の街の誇りを背負うクラブとして愛されてきました。この構図は、両クラブのファン文化の核心を今も形作っています。

2010年代には、この対決が世界最高峰の舞台にまで持ち込まれます。2014年と2016年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝で両者が激突し、2014年はリスボンでレアル・マドリードが延長の末4-1(アトレティコが後半90分過ぎまで1-0リード)、2016年はミラノで1-1からのPK戦5-3で、いずれもレアル・マドリードに軍配が上がりました。
黄金時代:1940年代・50年代
スペイン内戦終結直後の1939年、クラブはスペイン空軍のチーム「アビアシオン・ナシオナル」と統合し、名称を「アトレティコ・アビアシオン(Atlético Aviación)」に変更しました(合併というより、アビアシオン・ナシオナルの選手たちを迎え入れる形での改称)。

この体制強化が、直後の1939-40シーズンと1940-41シーズンの連続優勝——クラブ史上初の黄金期——につながりました。1949-50・1950-51シーズンにも連覇を果たすなど、クラブ史初期から強豪としての地位を築いていました。

この時代を支えたのが、通算169得点(クラブ歴代3位、リーグ戦では歴代最多となる150得点)を記録した点取り屋アドリアン・エスクデロ「エル・チャバ」(1945-58年在籍、330試合出場)と、470試合に出場したエンリケ・コジャル(1954-69年在籍、1965-66年のリーグ、1960・61・65年のコパ・デル・レイ、1962年の欧州カップウィナーズカップを獲得)です。1960年代から70年代にかけても複数のリーグ制覇を重ねています。
ドブレテ1995-96——クラブ史に輝く伝説のシーズン
アトレティコ・マドリードの歴史において、1995-96シーズンは特別な輝きを放っています。ラドミル・アンティッチ監督のもと、リーグとコパ・デル・レイを同一シーズンで制する「ドブレテ(2冠)」を、クラブ史上初めて達成したシーズンだからです。

攻撃陣を牽引したのはキコ・ナルバエス(11得点)とルボスラフ・ペネフ(16得点)の強力な2トップでした。得点後に弓を引く仕草をする「アルケーロ(射手)」のゴールパフォーマンスはキコの代名詞となり、後にフェルナンド・トーレスもこのポーズを踏襲しています。

リーグ優勝は1996年5月25日、アルバセテ戦(2-0)で決定。この試合の決勝点を挙げたのは、当時まだ現役選手だったディエゴ・シメオネでした——16年後に監督として同じクラブに黄金時代をもたらすことになる男が、選手としても歴史的な瞬間に立ち会っていたのです。
コパ・デル・レイは同年4月10日、決勝でFCバルセロナを延長の末1-0で撃破(パンティッチの決勝点)。この2冠は、クラブが「もう一つのマドリード」でありながら、いかに大きな存在であるかを改めて示すシーズンとなりました。
シメオネ体制:「コリズモ」の15年
2011年12月23日、現役時代にアトレティコで活躍したディエゴ・シメオネの監督就任が発表され、2012年1月7日に初采配を執りました。以来2026年で15年目を迎え、クラブ史上最長在任の監督となっています。
シメオネが築いた戦術哲学は、選手・メディアの間で「コリズモ(Cholismo)」と呼ばれています。規律あるブロック守備、球際への激しい寄せ、「一試合一試合を戦う」というメンタリティを軸に、決して潤沢とは言えない資金力の中でビッグクラブと渡り合う組織力を作り上げました。
この体制下で、アトレティコ・マドリードは2013-14シーズンと2020-21シーズンにリーグ制覇を達成。UEFAヨーロッパリーグでも2010年・2012年・2018年に優勝しています。
獲得タイトル一覧
アトレティコ・マドリードが国内外で獲得してきた主要タイトルは以下の通りです。
| 大会 | 優勝回数 |
|---|---|
| リーガ(1部リーグ) | 11回 |
| コパ・デル・レイ | 10回 |
| スーペルコパ・デ・エスパーニャ | 2回 |
| UEFAヨーロッパリーグ(旧UEFAカップ) | 3回 |
| UEFAカップウィナーズカップ(レコパ) | 1回 |
| UEFAスーパーカップ | 3回 |
| コパ・インテルコンチネンタル | 1回(1974年度/1975年3月開催) |
なかでも1974年度のコパ・インテルコンチネンタル(実際の試合は1975年3月開催)制覇は、FIFAが公認する「世界クラブ王者」の称号を得た特別な栄誉です。
歴代の名選手
1960年代から70年代にかけては、ホセ・エウロヒオ・ガラテ「エル・インヘニエロ(技師)」(1966-77年在籍、公式戦325試合134得点、ピチーチ賞受賞3回)とアデラルド・ロドリゲス(1959-76年在籍、クラブ史上2位となる通算553試合出場)が中心選手として活躍し、コパ・インテルコンチネンタル制覇にも貢献しました。
指導者としては、現役時代にもクラブに貢献したルイス・アラゴネスが、複数回にわたって監督を務め、1969-70・1972-73シーズンの優勝に貢献しました(後にスペイン代表監督として2008年欧州選手権優勝も果たしています)。

1980年代末から90年代にかけては、ポルトガル代表MFパウロ・フトレ「モンティージョの真珠」(1987-93年、1997-99年在籍)が卓越したドリブルでファンを魅了し、1991年・1992年のコパ・デル・レイ制覇に貢献しています。

ドブレテを達成した1995-96シーズンの立役者の一人が、セルビア出身MFミリンコ・パンティッチ「ソレ」(1995-98年在籍)です。フリーキックとコーナーキックの名手として知られ、ビセンテ・カルデロンでは彼の技術を称えて毎週日曜にコーナーフラッグへ花が供えられていたと伝えられています。引退後、当時会長を務めていたヘスス・ヒル・イ・ヒルの意向でスタジアムに胸像が設置されました。
アトレティコの下部組織出身で、後に伝説となった選手がフェルナンド・トーレスです。1995年に下部組織へ加入し、2001年5月27日、17歳で2部リーグの試合でトップチームデビューを果たしました。2003-04シーズンには若くしてキャプテンに任命されています。

シメオネ体制下では、ラダメル・ファルカオ(在籍2シーズンで70得点、ヨーロッパリーグでは「王様」の異名を取った)、そしてアントワーヌ・グリーズマン(2015年から2019年、そして2021年からの復帰後を通じてクラブ史上最多得点者、2026年時点で通算203得点)が攻撃陣を牽引しました。ゴールを守るのはヤン・オブラクで、2014年の加入以来、外国籍選手としてクラブ最多の出場記録を持つ守護神です。
女子チームと国際展開
アトレティコ・マドリードには女子サッカーチームもあります。前身となるクラブ「アトレティコ・ビジャ・デ・マドリード」が1989年に設立され、翌1990年には女子リーグ創設初年度の王者に輝きました。2001年には現在の体制として再編され、近年はリーガF(女子1部リーグ)で複数回のリーグ制覇を達成するなど、強豪としての地位を確立しています。
クラブは近年、国際展開も進めています。インドのアトレティコ・コルカタ、メキシコのクルブ・アトレティコ・デ・サンルイス、カナダのアトレティコ・オタワなど、各国に姉妹クラブを持ち、グローバルなブランド展開を図っています。
2026-27シーズンの現状
会長のエンリケ・セレソは2003年5月28日の就任以来、20年以上にわたってクラブを率いています。近年は米投資会社アポロ・グローバル・マネジメントが主要株主として経営に加わっています。監督のディエゴ・シメオネも契約を全うする意向を示しており、2026-27シーズンも指揮を継続する予定です。
なお、現時点で日本人選手が同クラブの1軍に在籍した記録は確認できていません。
まとめ
アトレティコ・マドリードは、労働者階級のクラブとしての誇りと、シメオネ監督が15年かけて築いた規律の哲学を武器に、資金力で勝るビッグクラブと互角に渡り合ってきました。「もう一つのマドリード」でありながら、通算11回のリーグ優勝を誇る、スペインサッカーに欠かせない存在です。
出典
- SI.com:アトレティコ・マドリードの全タイトル一覧
- Atlético de Madrid公式:ドブレテ25周年
- DAZN News:マドリード・ダービーの起源と歴史
- iusport:シメオネ就任から14年
- Wikipedia(西):Club Atlético de Madrid
- Wikipedia(西):Adrián Escudero
- Wikipedia(西):José Eulogio Gárate
- Wikipedia(西):Enrique Collar
- Wikipedia(西):Paulo Futre
- Wikipedia(西):Adelardo Rodríguez
- Wikipedia(西):Kiko (futbolista)
- Wikipedia(西):Milinko Pantić
- elDiario.es:アトレティコのファンが「インディオス」「コルチョネロス」と呼ばれる理由
- Wikipedia(西):Fuente de Neptuno (Madrid)
- LALIGA:アトレティコ・マドリードのエンブレムの変遷
- beIN SPORTS:アトレティコ・マドリード、旧エンブレムに復帰
よくある質問
アトレティコ・マドリードはいつ、誰によって創設されましたか? ▾
アトレティコ・マドリードのリーグ優勝は何回ですか? ▾
「ドブレテ」1995-96シーズンとはどんなシーズンでしたか? ▾
ディエゴ・シメオネはいつからアトレティコ・マドリードの監督ですか? ▾
レアル・マドリードとの「マドリード・ダービー」はどんな対決ですか? ▾
アトレティコ・マドリードのホームスタジアムはどこですか? ▾
アトレティコ・マドリードはなぜ「コルチョネロス」と呼ばれるのですか? ▾
アトレティコ・マドリードに女子チームはありますか? ▾
アトレティコ・マドリードのマスコット「インディ」とは何ですか?なぜファンは「インディオス」と呼ばれるのですか? ▾
アトレティコ・マドリードはなぜマドリードのネプチューン噴水で優勝を祝うのですか? ▾
アトレティコ・マドリードのエンブレムが変更・復活したのはいつですか? ▾
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