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アスレティック・クラブ完全ガイド|バスクの誇りと一度も降格なしの記録
アスレティック・クラブ(アスレティック・ビルバオ)は、バスク出身または現地育成の選手のみを起用するという、欧州サッカー界でも極めて異例の方針を100年以上にわたって貫いてきた名門クラブです。1928年のリーグ創設以来一度も降格したことがない、レアル・マドリード、FCバルセロナと並ぶ稀有な存在でもあります。
ラ・リーガ全体の解説は「ラ・リーガ完全ガイド」、スペイン代表とニコ・ウィリアムスの活躍は「スペイン代表完全ガイド」もあわせてご覧ください。
創設:英国人労働者が持ち込んだサッカー
ビルバオへのサッカー伝来は、造船所や鉱山企業で働く英国人労働者たちによるものでした。英国人とビスカヤ地方の若者たちによる最初の対戦記録は1893年にさかのぼります。クラブは「英国に存在する各種クラブのモデルに倣って」設立されたとされ、そのことが「Athletic(アスレティック)」という英語由来のクラブ名にも表れています。起源は1898年頃とされていますが、法人としての正式な創設は1901年4月5日、ビルバオのヒムナシオ・サマコイスに集った運動家たちによるものでした。初代会長には、ウエルバ県モゲール出身のルイス・マルケス・マルモレホが就任しています。

「ロス・レオネス」の由来とエンブレムに込められた意味
アスレティック・クラブは「ロス・レオネス(獅子たち)」の愛称で親しまれています。その由来は、本拠地サン・マメスの名の由来にもなっている聖マメスの伝説にあります。聖マメスはローマ帝国時代のキリスト教殉教者で、ライオンの前に投げ込まれながらも生き延びたと伝えられており、この逸話にちなんで「サン・マメスの獅子たち」と呼ばれるようになりました。
クラブのエンブレムにも、地域の伝統が色濃く反映されています。ビルバオ市の紋章に由来するサン・アントン橋と教会、そしてビスカヤの名家アロ家の狼をあしらったデザインに、ビスカヤ地方の象徴であるゲルニカの木が組み合わされています。現在の形に近いエンブレムが初めて文書に記録されたのは1922年で、1941年に基本デザインが確立、1972年に現在の形へと整えられました。

バスク・カンテラ方針:欧州で唯一の民族限定主義
アスレティック・クラブを他のどのクラブとも一線を画す存在にしているのが、バスク出身または現地育成の選手のみを起用するという独自の方針です。
この方針の起源は、1911年にスペインサッカー連盟が「スペイン国籍選手のみの起用」を求めたことに端を発します。アスレティックはこれを機に外国籍選手を起用しない方向へ進み、時を経てこの慣習がバスクのアイデンティティと結びつき、1980年代には「バスク(エウスカル・エリア)出身、またはバスクのクラブの下部組織で育成された選手」という、より広い現在の基準に発展しました。
重要なのは、この方針に法的な拘束力はなく、あくまでクラブ会員による民主的な合意として維持され続けているという点です。その徹底ぶりを示す数字として、クラブの長い歴史の中でこの基準に当てはまらない選手として在籍したのは、わずか6人(ガネア、ビウルン、リサラス、アモレビエタ、イトゥリアガ、ラポルテ)のみとされ、いずれも家族的・育成的な形でバスクとつながりを持つ例外的なケースでした。
この方針を体現する現在の象徴的存在が、ガーナ出身の両親のもとバスク州で生まれ育ったニコ・ウィリアムスとイニャキ・ウィリアムスの兄弟です。ニコはビルバオ生まれでレサマの下部組織育ち、イニャキもバスク州育ち——出自に関わらずクラブの起用基準を満たしています。興味深いことに、弟のニコはスペイン代表を、兄のイニャキはガーナ代表を選択しており、それぞれ異なる代表でプレーしています。
バスク・ダービー——レアル・ソシエダとの対決
アスレティック・クラブにとって最も特別な対戦の一つが、同じバスク州を本拠地とするレアル・ソシエダとの「バスク・ダービー(デルビ・バスコ)」です。両クラブはともにバスク・カンテラ方針を貫いており、単なる地域対抗戦を超えて、バスクのアイデンティティそのものを象徴する一戦として位置づけられています。
一度も降格したことがないクラブ
アスレティック・クラブは、レアル・マドリード、FCバルセロナと並び、1928年のリーグ創設以来すべてのシーズンを1部リーグで戦い続けている、わずか3クラブのうちの一つです。2006-07シーズンには最終節でレバンテに2-0で勝利し、かろうじて降格圏を脱するという際どい場面もありました。
タイトル歴:スペイン国内3位の実績
- リーグ優勝(8回):1929-30、1930-31、1933-34、1935-36、1942-43、1955-56、1982-83、1983-84
- コパ・デル・レイ(24回):1903年から1984年にかけて数多くの優勝を重ね、直近では2024年、決勝でFCバルセロナを下して40年ぶりに国内カップ戦のタイトルを手にしました。
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ(3回):1984、2015、2021
これらの実績により、アスレティック・クラブはレアル・マドリード、FCバルセロナに次ぐ、スペイン国内タイトル獲得数第3位のクラブとなっています。
本拠地サン・マメスの歴史
現在の本拠地サン・マメスは、実は2代目です。初代サン・マメスは建築家マヌエル・マリア・スミスの設計により1913年8月21日に開場。当初の収容人数は約3,000人でしたが、1920年代末には9,500人まで拡張されました。1982年のスペインワールドカップ開催に向けては大規模な改修が行われ、収容人数は46,000人まで拡大しています。

初代スタジアムから数十メートル離れた場所に、セサル・アスカラテの設計による新サン・マメスが2013年9月16日に開場。収容人数は約53,000人で、「ラ・カテドラル(大聖堂)」の愛称は新スタジアムにも受け継がれています。


優勝を祝う「ガバラ」と、ピチチへの敬意「ガンバラーダ」
アスレティック・クラブがタイトルを獲得すると、選手たちはビルバオを流れるネルビオン川の河口を、伝統的な平底船「ガバラ」に乗って進み、川岸に集まったファンとともに優勝を祝います。1983年・1984年のリーグ制覇の際にも行われた、クラブに深く根付いた伝統です。

もう一つのユニークな伝統が「ガンバラーダ」です。1927年1月以来、サン・マメスを初めて訪れる対戦相手クラブの主将が、スタジアム内に置かれたピチチの胸像に花を供えるという儀礼を行っています。ピチチその人については、後述の「歴代の名選手」で詳しく紹介します。

クラブ賛歌
アスレティック・クラブの公式賛歌は1982年に制定されました。作曲はカルメロ・ベルナオラ、作詞はフアン・アントニオ・スビカライが手がけ、バスクの伝統楽器であるチストゥ(笛)とタンボリル(太鼓)が用いられています。歌詞はビスカヤ地方のバスク語(エウスケラ)方言で書かれ、エウスカル・エリア(バスクの地)やゲルニカの木への言及が盛り込まれています。初めて披露されたのは1983年3月30日、サン・マメスで行われたコパ・デル・レイ準々決勝、FCバルセロナ戦でのことでした。
冒頭と、樫の木を歌った一節を紹介します。
Athletic, Athletic, Athletic eup! Athletic, gorri ta zuria danontzat zara zu geuria Erritik sortu ziñalako maite zaitu erriak
Athletic, Athletic, gogoaren Indarra. Aritz zarraren enborrak loratu dau orbel barria.
アスレティック、アスレティック、アスレティック、エウプ! アスレティック、赤と白よ みんなにとってお前は誇り高き私たちのもの 民衆から生まれたからこそ 民衆はお前を愛する
アスレティック、アスレティック 魂の力よ 老いた樫の木の幹が 新しい若葉を咲かせた
歌詞に登場する「老いた樫の木」は、エンブレムにも描かれるゲルニカの木——バスクの自由と伝統を象徴する存在——を想起させる一節です。

歴代の名選手
「ピチチ」——リーグ得点王賞にその名を残す男
アスレティック・クラブの歴史に最も深く名を刻んだ人物の一人がラファエル・モレノ・アランサディ、通称「ピチチ」です。1892年5月23日、ビルバオの旧市街で生まれました(母は作家ミゲル・デ・ウナムーノの遠縁、父は一時ビルバオ市長を務めた人物です)。1913年3月17日にアスレティックでデビューし、インサイドフォワードとして12年間にわたり活躍。現役時代にコパ・デル・レイ4回、地方選手権5回のタイトル獲得に貢献しました。
「ピチチ」というあだ名は、少年時代に年上の子どもたちに交じって遊びたがっていた様子と、その小柄で華奢な体格にちなんで付けられたもので、実は得点力とは無関係な由来です。1921年に現役を退いた後、1922年3月1日、29歳の若さでチフスのため急逝しました。
彼の名は、1952-53シーズンからスペインのスポーツ紙マルカが創設した「ピチチ賞(リーグ得点王賞)」として現在まで受け継がれています。栄えある初代受賞者は、同じアスレティックの偉大な点取り屋テルモ・サラでした。


伝説的な存在がテルモ・サラ(活躍期間1940〜1955年)です。リーグ通算251得点という記録的な数字を残し、ピチチ賞を6回獲得——この記録は長らく破られず、後にリオネル・メッシがようやくこれに並ぶ・上回るまで史上最多を誇っていました。

1930年代の黄金時代を支えたのがゴロスティサ(活躍期間1929〜1940年)です。通算200得点はクラブ歴代3位を誇り、リーグ3回・コパ・デル・レイ4回の優勝に貢献しました。
守護神として知られるホセ・アンヘル・イリバルは1960〜70年代のクラブを支え、1970年にはサモラ賞を受賞しています。


監督としては、1980年代黄金期を率いたハビエル・クレメンテ、後に欧州の舞台でチームを躍進させたマルセロ・ビエルサらが名を残しています。
1990年代を象徴する存在がフレン・ゲレーロ(活躍期間1992〜2006年)です。430試合に出場して116得点を記録し、リーグ準優勝に終わった1997-98シーズンには主将としてチームを牽引しました。

近年の象徴的存在がアリツ・アドゥリス(主に2012〜2020年在籍)です。407試合で172得点を記録し、2015年のスーペルコパ・デ・エスパーニャではFCバルセロナ相手にハットトリックを達成。2016年のヨーロッパリーグでは1試合5得点という離れ業も演じています。

2024年のコパ・デル・レイ制覇では、クラブ歴代2位となる通算573試合出場を誇るオスカル・デ・マルコスが主将としてチームを率い、40年ぶりのタイトルを掴み取りました。
バスク・カンテラ方針の象徴として先述したイニャキ・ウィリアムスとニコ・ウィリアムスの兄弟は、クラブでの実績自体も傑出しています。兄イニャキは2014年12月6日、コルドバ戦(サン・マメス)で1部デビューを果たし、2016年4月から2021年にかけてラ・リーガ史上最多となる251試合連続出場という記録を樹立(この間50得点31アシスト)、その堅牢さから「鉄人」とも称されています。弟ニコは10歳でクラブの下部組織レサマに加入し、下部組織や2軍(ビルバオ・アスレティック)を経て、2021年4月28日、18歳9ヶ月でトップチームデビュー。翌2021-22シーズンに公式戦40試合に出場して本格的にブレイクし、現在では兄とともにクラブの攻撃陣を牽引する存在となっています。

2026-27シーズンの現状
長年指揮を執ったエルネスト・バルベルデが2025-26シーズン限りで退任を発表し、後任として2026年5月、ドイツ人指揮官エディン・テルジッチ(元ボルシア・ドルトムント監督)が就任、2028年6月までの契約を結びました。バルベルデ以来の外国人監督で、マルセロ・ビエルサ以来となります。会長は2026年4月、無投票で再選されたジョン・ウリアルテが務めています。
なお、前述のバスク・カンテラ方針の性質上、日本人選手が同クラブの1軍に在籍した記録はなく、今後も在籍する可能性は構造的に極めて低いと考えられます。
まとめ
アスレティック・クラブは、バスク出身選手限定という欧州でも唯一無二の方針を貫きながら、一度も降格することなくスペイン国内3位のタイトル数を積み重ねてきた、稀有な名門クラブです。ウィリアムス兄弟の活躍は、この伝統が現代でも輝き続けていることの証です。
出典
よくある質問
アスレティック・クラブはいつ創設されましたか? ▾
アスレティック・クラブの「バスク・カンテラ方針」とはどんな制度ですか? ▾
アスレティック・クラブは1部リーグから降格したことがありますか? ▾
ニコ・ウィリアムスとイニャキ・ウィリアムスはどんな選手ですか? ▾
アスレティック・クラブのタイトル数は? ▾
アスレティック・クラブのホームスタジアムはどこですか? ▾
アスレティック・クラブはなぜ「ロス・レオネス」と呼ばれるのですか? ▾
「バスク・ダービー」とはどんな対戦ですか? ▾
アスレティック・クラブの優勝祝いや対戦相手への儀礼にはどんな伝統がありますか? ▾
「ピチチ」とは誰で、なぜ得点王賞の名前になったのですか? ▾
免責事項 本記事は執筆時点で入手できる最善の情報をもとに 作成しています。ただし、料金・営業時間・入場条件・ 法規制などは予告なく変更される場合があります。 重要な判断をされる際は、必ず公式サイトや 関係機関で最新情報をご確認ください。 スペイン倶楽部は記事内容の正確性を保証するものではなく、 本記事の情報を参考にした結果について いかなる法的責任も負いません。
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